会社に入る上で"保証人"なんてのが必要なので、おばさんの家に頼みに行った先日のことをフと思い出した。
用件が済んでお茶を飲みながらいろいろと世間話とかPCの話とか(なんだかんだでIT化の進んでるウチが頼られるw)してたんだけど、俺の失踪話とかをしているウチにおばさんトコロの従姉妹も一時期、精神的にまいって自宅で引きこもっていたらしい。(´・ω・)現代社会はストレス社会だねぇ……と思いつつそん時に俺の口から出た言葉がコレ。
「所詮、他人だから」
友達とか親友とか、恋人とか伴侶とか、親とか子とか、そんなの関係ねぇwww
目の前にいる"だれか"は確固たる肉体と精神を持った個人であり、その人に対しての物理的五感情報は手に入るけど、理論的な精神情報は前述の五感情報に変換しなければ解ったもんじゃない。そうじゃなくても物理的および精神的距離の近い親子であっても子供のキモチなんて早々解るもんじゃない。同じ場所と時間で同じ五感を感じたところで、その人のココロがどう受け止めるかで総て変わっちゃうしね。だから誤解も起こるしすれ違いもするし、好き嫌いも出てくるのかな。
他人の"なにか"を自分の中に求めるのは(比較して)難しいコトじゃないけど、逆に自分の"なにか"を他人に求めるのはそれは難しいことだと俺は思う。従姉妹についても、引きこもってふさぎ込んで押し黙っている状態をどーにか変えたいと思っているおばさんはすげー大変だったと思う。
でも結局、自分の"ココロ"を変えるには自分(が、で、を)動かすしかないんだよな。
俺を例に取れば"会社を辞める"とか"万博に行く"とか"北へ行く"とか"同人誌を作る"とか"たーにゃんに告る(そしてフられるwww)"とかイロイロあるわけだが、総じて"環境を変える"事に繋がっていた事に気付いた。環境の変化ってのは例えば引っ越したり転職したり結婚したり自殺したりとかの能動的な変化もあるし、お天気がいいとか会社クビになったとか病気になったとか殺されたとかの受動的な変化もあるけど、自分をいい方向に持って行くにはやっぱり能動的に動く方が近道っぽいと思う。どっちにしろ"ラクになりたい"ワケだしな。
従姉妹も働いていた会社を辞めて引きこもってたけど、今は別のところで働いてるそうだし、俺自身も結果とか元気かとかそういうのは抜きにして今の会社ならちょっと続くかなって思ってる。どーせ人生80年くらいと設定して、働けるのは残りせいぜい30年前後?前の印刷屋より3倍楽に過ごせるならまーいけるんじゃね?って感じで構えず無理せず唯一の目標を"有給消化率100%"として生きていこうかなと思ってみるわ(笑)
(´・ω・)ちなみに、仕事始めたら疲れてバタンキューで寝られるからいいやと思ってたら、眠りの"質"が悪かったみたいで、やっぱり眠剤を飲まないとダメだったことに気付いた。先日久々に飲んで迎えた朝が遅刻しそうなくらいよく眠れて何と清々しかったことか!(笑)
いつかは寝る前に薬飲まなくていい生活に戻れるかなーとか思ってるけど、逆に薬飲んでQOL保てるならそれもまたよし、ってのもアリだよなぁとか思ってる、晩秋の夜長……